お正月明けの日曜日、私たちの住む小豆島の田ノ浦半島の子ども会の行事として、最寄りのお遍路道を子供たちを連れて歩いてきました。
子ども会の行事といっても、二十四の瞳の映画で有名になったこの田ノ浦半島の子ども会はしばらく小さな子供がいなかったので子ども会も解散して長年経っていました。そして私たちの住む田ノ浦地区の小学生はうちの娘一人ですが、お隣の堀越地区に最近移住して来られたご家族たちのおかげで子供が増え、去年から2地区合同で子ども会が再結成されることになったんです。
その子ども会の保護者の間で遍路道の話をしてみたところ、歩いてみたい!と興味を持ってくれたので、新年はじめの行事として行ってみることに。ちょうど11月頃お遍路の整備をしたり、していただいたことと、虫のいない時期を狙っての決行。
当日はまず堀越のバス停に集合。うち以外は全員歩いてバス停へ。そこから二十四の瞳分教場のある田ノ浦までバスで移動。この時間にこのメンツでバスに乗ることがとても新鮮で、うっかりテンションが上がってしまい降りるボタンを2回も押し間違える(しかも私たち夫婦が)という珍道中からのスタートです。
バスを降りて、まずは田ノ浦庵で無事に歩けますようにとお参り。
その時、歩きお遍路さんを励ますために子供たちに手書きでサインを作ってもらいました。自分がお遍路道を歩いていてしんどい時、吊るされている「がんばって」という言葉にどれほど励まされたか。それが子供の字だった時はなおさらだった記憶があるのです。そういったことを伝えると、さすが全員女子、即席ながら上手に描いてくれました。
そのサインをもって、いよいよ山道へ。小学一年生の子がどこまで歩けるかを一番心配していましたが、その懸念はどこへやら。おねえちゃんたちに続いてどんどん歩いてくれています。
大人たちは、時々道に倒れてきている竹などの枝を切ったりして進みます。落ち葉がたくさんあってフカフカの道。
あえて上りの緩やかな田ノ浦から歩き始めたものの、しばらく歩くとちょっとみんなに疲れが出てきたので、作ってもらったサインを枝にひっかけたり、お茶休憩したり。
そしてやっと峠に到着!
お待ちかねのおやつタイム。それぞれが持ってきたいたおやつをシェアしあって至福の時間。ガスストーブを持参して、アツアツの珈琲を入れてくれたお父さんもいたり。そしたら肝心のコップを忘れてた!てみんなで大爆笑したり。ボーイスカウト時代を思い出してコンパスの使い方を子供たちに教えようと取り出したものの、使い方があやふやでいいとこを見せそびれたマットがいたり。笑 こういう、思い通りにいかないことがあるのがいい。
ああ、なんてのどかで平和な光景なんでしょう。
峠まで来たらあとは堀越の集落まで下るのみ。おやつで完全に充電された子供たちは、フカフカの落ち葉の上をスキーのようにキャッキャと滑りながらあっという間に下りていきました。
しかし最後の最後でまさかの「セイタカアワダチソウ」の森が!出口まであと少しのところが見事に塞がれていました。そこで待ってましたとばかりに農具を持ってきてくれていたお父さんたちの出番。ザクザクと刈って進んでいきました。
でも一体この道がどこにつながるのかみんな出てくるまで分からなかったようで、見慣れた集落が見えたときにやっと「あ、ここか!」と分かった様子。お家から歩いてほんと、1分程度のところ。
これでみんな、自分たちの住む半島の大きさや山道の、位置関係をふんわりとでもつかんでくれたらいいな、と思ったのでした。
私が小学生だった時、地区の子ども会は今ではありえないくらいとっても活発でした。
夏休み中は毎日6時からラジオ体操。冬休みも毎日朝暗い時に集合し、峠までマラソン。帰って来る頃ようやく夜明け。夏は毎年キャンプ。クリスマス会。花見。春の田植えから稲刈りまで。それ以外にも花壇つくり。
列挙してみると、いやホントすごかった。子供だった当時は時々面倒になってダラダラ参加してた記憶も多々ありますが、今になって考えるとこれらを無理やりにでも引っ張って実行してくていた大人たちは本当に凄かったということをしみじみ感じます。
その行事の一つに、地区のあちこちにあるお地蔵さんを八十八か所にみたてて歩いて周るというのがありました。大人たちが要所要所で待ってくれていて、そこに行くとおやつをもらえるんです。
子供だったのでおやつ欲しさにがんばって歩いてましたが、今思えばそういった経験が今の自分のお遍路体験や田舎暮らしやアウトドア好き、植物を育てることや基礎体力を養うことにつながったんじゃないかなと思います。当時子ども会を運営してくれた地区のおっちゃんおばちゃんたち、本当にありがとうございました。特に先導してくれていたおっちゃんに、もう直接お会いして御礼を言えないのが本当に心残りです。
しかし今度は自分たちがそれを子供たちに伝えていく番。この子達が大きくなって、ひょっとしてお遍路を歩くことになったとき、「あ、あの時書いたサインはこういう風にお遍路さんに役立ってるんだな」なんて感じてもらえればいいなと思いつつ。
さて、次は何をしようかな。